日々の掃き溜め

知らない誰かにどうしても伝えたいことをこっそり書いているブログ。

舞台「大阪ドンキホーテ」で恋に落ちた話

3月24日、大阪の中央公会堂で舞台『大阪ドンキホーテ』を観劇した。
その時の観劇で抑えきれない衝動に駆られ、こうしてキーボードを打ち続けている。
ネタバレや個人の主観、記憶違いを多大に含むため、そういった類いが苦手な方は読み進めないことをおすすめする。

そしてそれ以上に、フェチとか性的嗜好といったものが含まれているので、嫌な気配を感じたらどうか見なかったことにしてほしい。


今回の舞台は劇団Patch大阪市のコラボ企画で、「普段は演劇に触れる機会のない人にも今後親しんでもらえるように」と大阪市が発案したものである。
そこに劇団Patchが応募し、見事に審査通過。今回の舞台が実現したのである。
演目は劇団鹿殺し・丸尾丸一郎氏の代表作「スーパースター」を劇団Patchにあわせて翻案したもの。
演出を同じく劇団鹿殺しの菜月チョビ氏が務めるとあり、どんな作品になるのかと期待で胸がいっぱいだった。


地下鉄淀屋橋駅から5分少々、重要文化財である中央公会堂にたどり着く。
もともと劇団Patchの舞台を観るのが好きだった僕は、中央公会堂を前に色々な感情がこみ上げてきた。
劇団Patchは100席前後の小劇場で公演することが圧倒的に多い。
客演としてではなく、劇団Patchが主体となって行う舞台で、国指定の重文、しかも何百人と収容できる環境で彼らを観られるということが嬉しくてしょうがなかった。

2日間3公演と少ないながらも、こんなに大勢の人に劇団Patchを観てもらえるなんて。
誰目線なんだという話だが(断っておくが僕は何の変哲もない一観客である)、開演前から満たされていた。


一人感慨にふけっている間に館内アナウンスが流れ、程なくして開演時間を迎えた。いよいよ千秋楽である。

一瞬で全員を魅了した納谷健

舞台は架空の都市・大淀市の団地を舞台にした一人の男の物語である。
団地の取り壊しが続くなか、最後の10号棟203号室に住む青年 星川輝一(ピカイチ)を三好大貴が演じる。

ピカイチはバイトを続けながら漫画を描き続けているが、その作品はどれも曖昧で未完だと出版社から酷評を受ける。
このピカイチを演じる三好の演技が素晴らしい。
三好はその容姿からか悪役に選ばれることが多く、劇団内でも悪役を演じさせて彼の右に出る者はいないのではなかろうか。
今回は悪役と違って主役ではあるものの、溌剌とした少年漫画の主人公からは遠く離れた、頼りなく冴えない男を見事に表現していた。

そもそも、今までまともに投稿したことすらないピカイチが出版社に酷評を受けたのは、弟の瞬一が彼に無断で原稿を送ったからだった。
この瞬一を演じるのが近藤頌利。これまでのPatch stageでは限りなくモブに近い役が多かったが、外部公演で経験を積み、まさに今作のボクシング界のスーパースターとして活躍する瞬一がぴったりな役者に成長していた。
もともと近藤は劇団内でも一番長身ではあったが、その背丈がより生かされ、ますます存在感を増していた。僕にもその身長とオーラを分けてほしい。

瞬一は団地からの退去を言い渡されているピカイチにこれ以上足を引っ張るなと苦言を呈する。
母親の死を機に父親と瞬一は団地を去り、それ以来ピカイチと彼らの間には深い溝があるのだ。
そうこうしているうちに、1本の電話が鳴る。
それは先ほどピカイチの作品群をこき下ろしていた出版社からで、「最後に送られてきた『団地の超人ブッチャー』が素晴らしい」と絶賛するものだった。

それは、ピカイチたちが幼い頃に現れた、一人の少年・ブッチャーを描いた物語だった。


ブッチャーはピカイチたちの幼少期、突然姿を現した。
団地の憩いの場・銀杏広場で主婦が集ってコーラスの練習に励み、その子どもたちが無邪気に遊ぶなか、とてつもない悪臭を放ちながらやって来たのがブッチャーだった。
ボサボサの頭にほこりまみれの半纏、ずるずるのオーバーオール。浮浪者のような姿に、皆が遠巻きに「向こうで遊んでおいで」と距離をとった。

このブッチャーを演じるのが納谷健である。
彼は僕の印象ではクールで無口な役が多い印象で、今回のような掴みどころのない飄々としたキャラクターが彼に似合うのか、果たして演じきれるのかとどうにも想像ができなかった。
前回のPatch stage 通称「ジャー忍」も納谷らしからぬと意外に感じたくらいだ。
一抹の不安を抱きながらも、僕は納谷の演じるブッチャーを見守っていた。

今の少年はなんだったのかとざわつきながらも、気を取り直してママさんコーラスは練習を再開する。今度は各々の子どもも交えて歌う「グリーングリーン」だ。
しかし年頃のせいもあるのか、子どもたちは恥ずかしがってなかなか歌おうとしない。そんな時、一人遊びから戻ってきたブッチャーが再び彼らの前に現れる。
ブッチャー何でもできるで。ブヘッ
悪臭を放ち、気合を入れた瞬間に放屁し(ブッチャー曰く「気合い入れたら屁がでるねん」らしい)、こんな珍妙な少年に何ができるのかと全員が怪訝な表情を隠せない。

だがイントロが始まり歌に入る瞬間、それまでぼんやりとふらふらしていたブッチャーの目に鋭い光がさした。


a-Well I told my mama on the day I was born
"Dontcha cry when you see I'm gone"


恋に落ちる瞬間、というものはきっとこんな風に何の前触れもなく訪れるのだと思う。
観客は言わずもがな、舞台に立っている役者たちも息をのんだのが聞こえた。
流暢な発音で歌うブッチャーに、この瞬間誰もが釘付けになったのだ。
「エイゴや…」
「原曲や…」
小さくこぼす子供たちの声を気にも留めず、ブッチャーは歌い続ける。
納谷ファンは間違いなく聞き惚れていただろうが、別の役者目当てで来ていた観客も老若男女問わず、そして僕も例外なく、恋に落ちたのである。


このように、ブッチャーは突然姿を現しては忽然と消え、数々の問題を解決して団地のスーパースターとなった。
しかしその間も、瞬一はボクシングでみるみるうちに才能を開花し、ピカイチと瞬一の差は開く一方であった。


ブッチャーが失踪して久しい頃、団地の取り壊し事業が濃厚になってきた。
表向きは団地の老朽化ということになっているが、実際は大阪-西宮間の幹線道路建設が理由だろうとピカイチの父親は考え、抗議運動を行っていた。
父親の顔に大きな痣があることに気づいた団地の子どもたちは、ピカイチに何があったのかと問う。
ピカイチの父はうどん屋を営んでいるが、経営難のためにたびたび一富士という金貸しから借金の取り立てがあった。
顔の痣は一富士の人間に殴られた時のものである。

その時、抗議運動の声をかき消すような怒号が飛ぶ。
一富士の金光と尾藤が借金の取り立てにきたのだ。
金光を演じるのは星璃、尾藤を演じるのは竹下、同学年コンビである。
星璃はクールな悪役を演じることが多いが、今作のようなコメディ要素も含んだチンピラ役も上手く表現する。ドスのきいた声が金光役にとてもよく似合う。
そして本人の声質も大きく影響しているとは思うが、竹下の下っ端らしさがマッチして本当に良いコンビだなと実感する。
この二人はPatch旗揚げ公演でもコンビを組んでいたので、会話や動きに安定感がある。流石は一期生である。

一富士の二人はピカイチの父親を脅し、借金の返済を要求する。瞬一も果敢に金光へ挑みかかるが、金光に軽くあしらわれてしまう。
団地の、星川家が危機に瀕したこの時、またあの少年が現れた。ブッチャーだ。

ブッチャーはカンフーの有名な技を巧みに駆使し、一富士の二人をいとも簡単に倒してしまった。
納谷はテコンドー経験者ということもあってか、体幹がとても安定していて動きにとてもキレがある。それまでのぼんやりとした演技とのギャップも相まって、その動きはより美しく冴えている。
ブッチャーの活躍に感銘を受けた子どもたちはブッチャーに教えを乞い、団地を守るべく修行を積むのである。


後日、一富士の金光と尾藤は部下を引き連れ再びに団地へやってくる。団地の子どもたちはブッチャーとともに、日用品を武器にして戦うのである。

このシーンでの殺陣が本当に面白かった。子どもたちが武器として持っているのはフライパン、洗面器、スリッパ、ヤカン、はたきなど。
ブッチャーは物干し竿を巧みに操っており、金光との一騎打ちは二人とも殺陣の巧い役者であるがゆえに、本当に素晴らしいものだった。

二人とも殺陣めっちゃうっめえええ……
勿論他の劇団員も格段に上達しているのだが、中でもこの二人は群を抜いて上手い。本当に上手い。
武器の有無に関わらず、星璃も納谷もキレがあって美しい。舞台奥に下がってもついそちらを見入ってしまうほどだ。
外部で数多くの舞台に立ち、着実に彼らも成長しているのだな、と僕は勝手に父親目線で感動していた。

こうして団地の子どもたちは一富士一派の撃退に成功したのである。
しかし、これで終わりではなかった。


一富士一派を撃退してしばらく経った頃、子どもたちお待ちかねのイベントが待っていた。クリスマスだ。
子どもたちがそれぞれのプレゼントにはしゃぐ様を、ブッチャーはひとり遠くから眺めていた。

ブッチャーにはサンタが来なかったのだ。

このシーンは本当に胸にこみ上げるものがあった。
子どもたちが喜び舞い上がる一方で、ただ静かにその様を眺めるブッチャーの姿がとても痛々しかった。
あからさまに拗ねたり怒ったりしない分、よりその差が際立っていた。

だがそんなブッチャーにも、サンタとトナカイの格好をした大人たちが歩み寄る。
「サンタさん!」とブッチャーは嬉しそうに駆けより、ニコニコとプレゼントを受け取ろうとする。

しかし、ブッチャーの前に出されたのはプレゼントではなく、1本の包丁だった。
サンタとトナカイに扮していたのは、復讐の機会を伺っていた一富士の金光と尾藤だったのだ。

あああああぶっちゃああああああああああああああ
山場はまだまだ先であろうに、僕はもうここで駄目だった。涙があふれて止まらなかった。
そんなブッチャーの状況をつゆ知らず、子どもたちは仲良くクリスマスソングを歌っている。確かにその歌声が聞こえているはずなのに、僕はその歌がまったく耳に入ってこなかった。正確には、僕の頭が歌声を認識していなかった


何もブッチャーに限った話ではない。世の中にはブッチャーのようにプレゼントがもらえない子どもはいる。クリスマスに関係なく、大人に暴力を振るわれる子どももいる。
暖かな家庭で、プレゼントを与えられて喜ぶ子供たちはただ知らないだけなのだ。
ブッチャーのような子どもがいることを、彼らは知らないだけなのだ。自分たちのように、世界中の子どもが愛されていると信じて疑わないのだ。
この差が、現実を突きつけられているようで、苦しくてしょうがなかった。

そして金光たちに追われ、ブッチャーは再び失踪する。

フラグのはじまり

実は、ピカイチ名義で出版社へ送られた『団地の超人ブッチャー』は、それまでの作品同様、ピカイチが投稿した覚えのない作品であった。そもそも、ピカイチが一度も描いたことのない話だったのである。
その描いた記憶がない作品が1話2話と立て続けに出版社へ送られており、ピカイチたちは「ブッチャーが描いたのではないか」と推測する。
しかし、確認のためにと出版社から送られてきた新たな第3話は、ブッチャーが失踪していた頃の、ブッチャーが見ていないはずの物語だった。


中学生になったピカイチは、友人達に誘われバスケットボール部に入部する。
この時部活の先輩役を演じる藤戸佑飛のラップが始まるのだが、本当に藤戸は歌が上手い。
音程や滑舌もだが、声が良く伸び、響いている。もしかしたらオペラ歌手みたいに体で響かせているのかもしれないけど。

説明が遅れたが、今作はミュージカルのくくりではないものの、歌とダンスがふんだんに盛り込まれている。
エンターテイメント性が高く、まさに今回の企画にはもってこいの作品だと感じた。

ピカイチたちが入部した頃にキャプテンを務めていた西村を、星璃が演じていた。今回は田中亨が演じる少年期のピカイチと、納谷のブッチャー、そして吉本孝志演じるピカイチの友人ペルー、特別ゲストの大西ユカリの4人以外は全員が複数の役を演じており、早着替えも非常に多い。
星璃も例外なく、先ほどまで包丁片手にブッチャーを追っていたのが嘘のように爽やかな少年に変身していた。


中学生にとっての歳の差というものは大きい。成長期も相まって、先輩という存在は遠く離れた大人の世界の住人のようであった。
ピカイチたちの主観がそうさせるのかと思ったが、この西村キャプテン、本当に大人っぽい。演じている星璃が成人しているのだから当然と言えば当然なのだが、それだけではないような色っぽさがあった。

背伸びをしている中学生らしいセリフが多いので、キャプテンの決めセリフにはついつい笑ってしまうのだが、彼のまとう独特の空気感がどうにもそわそわと落ち着かない。


思えばジャー忍を家族と観に行った時も、家族が鼻息を荒くしながら「星璃憂いを帯びた色気がとても良い」と絶賛していた。

劇団Patchは役者陣的にもこれまで上演されてきた作品的にも、官能性に寄ったことはない。円熟した女優のいない劇団というのも大きいだろうが、そもそも官能というものが彼らのイメージに合わないからだ。

その上で、今回の星璃はとても目を引くものだった。
もともとは彼も色気からはかけ離れたところにいたはずだが(過去作のDVDを観ていても「若いな~」しか感想が出てこない)、昨年の、それもジャー忍前後から急激に何かが変わっている気がした。


あれっ、星璃ってこういう役者だったっけ?
彼の表現の引き出しが増えたことを素直に喜ぶべきなのにどうにもそわそわしてしまう。
そうこうしているうちに、ピカイチたちは大淀団地へ帰っていく。僕が星璃に動揺している間に第3話が終わってしまったのだ。
やってしまった。本当に申し訳ない。田中ごめん…。


順風満帆に連載が進むと思いきや、予期せぬ事態がピカイチを襲う。
今まで出版社に送られていたブッチャーの原稿がピタリと止み、第4話が届いていないのだ。
焦りを感じたピカイチは第4話を捏造(という表現も正しいのか分からないが)するが、「作風もストーリーも変わりすぎている」と突っぱねられる。

焦るピカイチの前に、意気揚々と瞬一がやって来た。
彼は、以前から交際を噂されていた有名人・江戸川クリステルに「今度の試合でチャンピオンになったら結婚しよう」とプロポーズし、クリステルもそれに応じたというのだ。
ピカイチの事情などつゆ知らず、軽い足取りで瞬一は団地を後にする。窮地に立たされているピカイチとは雲泥の差だ。


そしてそんなピカイチに追い打ちをかけるように、10号棟の取り壊しが強行される。
ピカイチは団地にただ一人残り、抵抗を続けてきた。時には業者のトラックをパンクさせ、役所に「団地へ爆弾を仕掛けた」などと脅したりした。
しかしそんな抵抗もむなしく、ピカイチは思い出の詰まった部屋を追い出され、無残にも取り壊しは行われるのである。

帰るべき家を失ったピカイチは、のろのろと自身の作品が詰まった段ボール箱から原稿を取り出し、第4話の執筆を続ける。


第4話はピカイチたちも中学3年となり、バスケットボール部最後の試合に臨む場面から始まる。
最高学年であるものの、ベンチウォーマーから抜け出せずにいるピカイチが、突然異変を感じて動揺する。この臭いは、まさか、

ブッチャー!!

金光たちに追われてから何年も姿を見せなかったブッチャーが、あのぼろぼろの風貌のままでまたピカイチの目の前に現れたのだ。
ブッチャーは試合で活躍できるかと不安なピカイチに「ピカイチならできるで!」と自信満々に答える。
そして「そんで試合にかったらマーチに告白や!」と続けるので、ピカイチは「な、何言うてんねん!」と慌てて否定する。

マーチとは団地に住む少女のことで、水商売で働く母親と二人で暮らしていた。
彼女は団地の少年たちの憧れで、皆がこぞって自分こそが将来マーチと結婚するのだと言い合っていた。
こんな自分が、マーチに告白できるのだろうか。
不安と期待が混ざったまま、試合開始の笛が鳴る。


とはいえピカイチはベンチウォーマーである。試合の後半になっても、なかなか彼の出番は回ってこない。
試合を見守っていたブッチャーも痺れを切らし、「はよピカイチ出せ!」とブーイングする。
その時、第4クォーターで部員の三井の足がつった。
急遽タイムをとり、三井の代わりに名前を呼ばれたのはピカイチだった。

遂に試合に出ることができた。出ずっぱりのメンバーに比べ、ピカイチは体力も温存されている。ピカイチは自分にパスを回すよう声を掛ける。
だが誰もピカイチにパスを出そうとしない。またもブッチャーがブーイングする。

試合終了まで残り数秒。もう時間がない。
その時、遂にピカイチへボールが渡った。やっと出番がやってきた。
ありったけの想いをこめて、ピカイチはシュートを放つ。ボールはゴールに向かって真っすぐに飛んでいった。


滑らかな弧を描いて、ボールは床へと落ちていく。試合終了の笛が鳴った。
結局ピカイチたちは勝てなかった。
そしてピカイチは、スーパースターにはなれなかったのだ。


大人になったピカイチがあの頃のピカイチに呼びかける。
「泣くなピカイチ、お前はこれから何度も、シュートを外し続けるのだから

この時の田中の演技がとても印象深い。
羽生蓮太郎で演じていた歩野親春もそうだが、田中の演技はどこまでも純真だ。
大声を上げて泣く姿は、まさに田中にしかできない演技だった。


第4話を描き上げたところで、瞬一が試合会場に向かう道中で交通事故に遭ったとの知らせが入る。
周りの声に聞く耳を持たずバイクで会場に向かう道中、ガードレールにぶつかって骨折したのだ。
「やっちまったよ」と肩をすくめる瞬一にピカイチが掴みかかる。

お前は「ホシ」を持って生まれてきたのに、どうしてそんな事をしたんだ、と。
借金取りが取り立てに上がりこんで来た時も、お前だけは眠っていたじゃないか、と。

瞬一はすかさず「あんな状況で寝れる訳ないやろが!」と怒鳴りかえす。
当時瞬一はあまりに怖くて、大人に気づかれないよう狸寝入りをしていたのだ。


結局、誰もが信じて疑わなかった瞬一さえも、「ホシ」を持っていなかったのだ。
ピカイチに思わず笑みがこぼれる。「クリステル、見舞いに来おへんなあ」と茶化され、瞬一がかみつく。
なにもピカイチに限った話ではなかった。皆が一様に、「ホシ」を掴むべくもがきあがいてきたドンキホーテだったのである。

瞬一が、ポケットに入っているラジオを取り出すよう指示する。
ラジオをつけると、ちょうど瞬一が向かうはずだった試合が中継されていた。

確実に気づいてはいけない感情だった

熱気に包まれた会場では、防衛側のチャンピオン・マイク本郷が待ち構えている。マイク本郷も星璃なのかとぼんやり星璃のほうへ視線を向けたところで、僕は固まってしまった。

待って、星璃ってこんなに肌白かったっけ?

「役者だし美白のために顔パックくらいはするだろ」とかは僕でも考え及ぶが、まさか胴体がここまで白いとは思わないし、というか本当にめちゃくちゃ白い。かつ傷ひとつついていない肌の滑らかさで、でも体はしっかり鍛えられているから筋肉の陰影が石膏像みたいにくっきりしていて(腹筋もバッチリ6つに割れていた)、背中もちょうど背骨のラインがするりと伸びていて、いや、これはもう、もう見せちゃ駄目だろうこれは。

恥ずかしさのあまり目を逸らしたくてしょうがないのに、僕の体が、目が、言うことをきかない。

こんなことがあっていいのか。

今までは若い女の子が胸の谷間や太ももを見せていると内心「ウヒョー」と心躍っていたのだが、星璃の体はなんというか、そういう「ウヒョー」な感情とはまったく異なる類のもので、こういうことを思っては本当にいけないと分かっているのに、もうどうしようもなくて、身も蓋もない表現をするとたまらなくて、罪悪感と絶望感が凄まじかった。

星璃は以前に比べて、
曲線を描いていた輪郭がまっすぐになった。
体の厚みが増した。
見つめる瞳の表情が深くなった。


中山義紘や松井勇歩など、僕がいつもPatchの劇団員を見ていて抱くのは「こんな風になりたい」という憧憬が主になるのだが、星璃に対するものはもう、本当に駄目なやつだ。これはちょっと本当に本当に駄目なやつだ。

こんなことを言うと熱烈なファンに刺されそうだが、星璃より顔のいい俳優はごまんといる。それは事実だと思う。
しかし、彼の容姿だけでは決してない空気が、妖艶で、耽美で、儚げで、繊細で、美しいのだ。いやもういつの間にこんな色気出すようになったんだ本当にやばい。


試合の後、現実とも空想とも言えないシーンへと移っていく。
役者たちが入り乱れ、叫び、まるで暴れるような演出は劇団鹿殺しではよく用いられるのだと後から人づてに聞いた。

そんな中でも僕は舞台奥にいる星璃に釘付けだった。この舞台の中で、二度目の恋だった。

とはいえ一度目の恋はレモンだとかカルピスに例えられるような甘酸っぱくて爽やかなものだが、二度目のそれは恋と呼ぶにはあまりにもおぞましく、醜いもののような気がしてならない。様々な思いで溢れかえって、僕は終演後の拍手がきちんとできていたか、正直自信がない。


今回の舞台は主演にして座長を務めた三好の好演に心を打たれ、個々の役者の魅力がより一層増し、そして納谷は劇場の全員を虜にした。僕ももれなくその一人だった。
しかし僕はこの日、星璃という恐ろしく美しい男に心を奪われてしまったのだ。今まで触れたことのない感情に、僕は本当に自分が自分でないようで、それがただひたすら怖くて仕方がない。


同時に、アラサーのおっさんが美丈夫に好意を寄せているという、字面だけでも十分キモい状況が本当につらい。
少女とは言わずとも、せめて自分が女性であったならとここまで願ったこともない。自分が男というだけでここまで犯罪臭がするものなのか。こうして文字を打っているだけでも涙が滲んできた。つらい。


帰りの道中、アルコールを1滴もとっていないのに、足元がふわふわとおぼつかない。3月24日、この日は星璃の誕生日だった。彼は今日、24歳になった。
24歳。まだ四半世紀にも満たない若さである。
誕生日おめでとう。僕はまたひとつ歳を重ねた君に、心からの祝福を送りたい。

そしてここからは厚かましい願いなのだが、決して君に近づき、危害を加える真似はしないので、どうか遠くの世界で君に叶わない恋をすることだけは、許して貰えないかと切に願っている。

舞台「オサエロ」で観客になりきれなかった話

2月25日、僕は舞台「オサエロ」を昼夜2公演観劇した。素晴らしい舞台だった。
そこで思うところがいくつかあったのでキーボードを前にし、このブログを打っている。
ネタバレ(記憶違いも多いが許してほしい)や僕自身の主観を多大に含むので、そういった類いを好まない人は読み進めないことをおすすめする。

昼公演はただ運が悪かったのだ

そもそも僕がこの舞台を観るきっかけとなったのは推し俳優、松井勇歩の出演が決まったからだった。
2月も少し過ぎたころ、松井氏のツイッターアカウントにて「急遽出演が決まった」という旨のツイートを見、この日程なら日曜日に観に行けるな、とチケットを予約した。

急遽、という言葉と本番までの日数が気にかかったが、彼の吸収力の速さと瞬発力、アドリブ力なら問題ないだろうと感じていた。実際にその期待を裏切らず彼は見事な演技を僕らに披露してくれた。

しかし、稽古期間中、少しひっかかることがあった。
彼は元々こまめにツイートするタイプではないが(おそらく文字を綴るよりも口で伝えるほうが得意なのだと思う)、ツイート数が明らかに減っている。
とはいえ次にも大きな舞台を控えているので、忙しくてツイートできなかったのかも、と思うことにする。


いよいよ観劇当日、緊張と高揚がないまぜになったまま劇場へ向かう。
松井氏の出演する舞台や松井氏の所属する劇団Patchの舞台の客層は大半が僕と同世代の女性のため、毎回どこか肩身の狭い思いをしながら席に着いているのだが、今回はまさに老若男女、幅広い世代が集まっていた。

特攻隊を題材にした作品だからかもしれない。
さきぽん、ことSKE48の竹本彩姫さんが出演するからかもしれない。
愛らしい子役の勇姿を観に来たのかもしれない。
はたまた、僕のように松井氏めあてで来たのかもしれない。
元々この舞台は東京で上演されたものの再演であり、僕が知らないだけでとても知名度の高い作品なのかも知れない。

ともあれ、自分と世代・性別の異なる人さまざまな人たちと一緒に同じ時間を共有するのか、と思うとワクワクした。

僕の隣にふくよかな男性が座る。物販で販売されていた記念Tシャツ(色が違うように見えたのでもしかすると東京公演のグッズかもしれない)を着ていて気合い十分なのが伺える。
出で立ちから察するにさきぽんさん推しなのかな、と解釈する。


開演の舞台が鳴り、いよいよ始まる時が来た。
公園のベンチに腰かける老人におそるおそる声をかける若い女性。現代のシーンから始まるんだな。なるほど。

コフー

そこで、僕は何か違和感を感じた。
いや?まさか、気のせいだろう。
そのまま観劇に集中する。

この老人は若い女性の祖母と幼なじみで、彼は祖母のことを好いていたという。そして彼らのもう一人の幼なじみである浅井勝彦という男もまた、祖母を好いていたと。
松井氏だ、松井氏の役名が出た。期待に胸が膨らむ。

コフー

待っっっっっっって…
なんだこのコフー、は。どこから聞こえるんだ。
舞台はまだスモークをたいている様子はない。というかスモークがコフコフ言いながら出ていたらなかなかの機材不調ではないか。
しかもなんとも言えない、決して心地良いものではない臭いがする。
耳を済ませて音の方向を探る。この時点で中原老人を演じる清水氏の独白をかなりスルーしてしまっている。清水氏には正直申し訳なさしかない。

コフー

…嫌な予感がする。気づかれないよう、こっそり横目で隣の席をうかがう。

コフー

隣のオッサンじゃねえか!!!!!!!!!!!!!!!!
謎のコフコフも変な臭いも全部隣に座ってるオッサンじゃねえか!!!!!!!!
隣のオッサ…もといふくよかな男性は、言うなればその体型ならではの呼吸をしているのだ。
とはいえ体型ばかりは一朝一夕で、ましてや観劇中にどうにかなるものではないし、何よりやむををえない理由があるかもしれないので仕方ないとしよう。

しかし、だ。
お口エチケットの時間がなかったのかそもそもその概念がなかったのか、彼の口呼吸によって口臭が周囲へもちろん僕のところまで広がるのだ。
まさか観劇にいった先でバイオテロに遭うとは思っていなかったのでガスマスクも何もない。頼む、頼むからせめて鼻呼吸を…あああ…


結局僕は感動的なシーンすらも、チベットスナギツネのような目でぼんやり眺めることとなる。
僕が第二のふくよか紳士にならないよう、今度からエチケットガム絶対準備する。絶対にだ。

気を取り直して千秋楽へ

ふくよか紳士との夢のような時間(本当に夢であったならまだ救われたのに)を過ごしたのち、休憩も兼ねて近くの喫茶店で一服してから最後の公演へ。
そういえばふくよか紳士のバイオテロがあったとはいえ、今回の舞台はどこか違和感があるというか……そうそう、松井氏が終演後もまったくいつもの顔をしていなかったのだ。

松井氏は永遠のやんちゃ坊主、といったような印象で、誰かにいたずらしたりちょっかい出したり振り回したり、まさにクラスの女子から掃除中に「ちょっと男子ィ~!」と叱られるようなタイプだ(実際に劇団Patch本公演ではスタッフの方に軽く叱られてたりする)。
それでいて板の上に立つとその存在感、安定感はすさまじく、劇団員も観客も関係なくぐいぐい引っ張ってくれる頼もしい面もある、魅力的な俳優だ。ゆえに僕もファンである。

そんな彼は舞台が終わると大抵「仲間と演じられて楽しい!」だとか「お客さんに観てもらえて嬉しい!」といったオーラをこれでもかと発してカーテンコールに臨むのだが、
今回は主演の清水氏しか挨拶をしていないとはいえ、眉間にしわを寄せ、口を真一文字に結び、これから死地に向かう特攻隊員浅井勝彦のような様子だった。
最後まで役に入ってるのかなと思いつつ、見慣れない彼の姿がどうにも心に引っかかった。


日曜日夜公演、千秋楽は僕の家族も一緒に観た。
家族も劇団Patchの公演が好きなのでこうして時々観劇につきあってくれる。良い家族を持ったと自負している。
そして僕は昼公演のリベンジを果たすため、再びABCホールへと足を運ぶのだった。

夜公演は開場時間が予定よりも押していた。
終演後、出演者達がロビーで丁寧にお見送りをしてくれていたので、それが理由かなと考える。
僕は昼公演後早々に退散したので分からないけれど、松井氏とさきぽんさんは終演直後は見かけなかった。まあ直後にロビーへ姿を現したらファンが居座って芋洗い状態になること必至なので、賢明な判断だと思う。

しかし終演後のあのロビーを見て少しホッとした。
おそらく知人か家族であろう人たちと、朗らかに語らう演者たち。
彼らといま同じ時間を、同じ場所を共有しているのだという安堵を覚え、直後にその安堵が疑問に変わった。

僕ら観客と板に立つ演者らは別の時間軸を生きていたとでもいうのか?

確かに舞台は太平洋戦争末期だし、時間軸のズレを感じたということはいかにこの作品がリアルだったかを証明することに他ならない。
ただ、どうしてもそれだけが理由ではない気がした。


千秋楽は幸い座席にも周囲の観客にも恵まれ、集中して臨むことができた。
冒頭は前述の通り、公園のベンチに腰かける老人に若い女性が声をかけるところから始まる。
この時の老人を主演の清水氏が演じているのだが、初見では同一人物とは思えないほど声の使い分けが巧い。咳払いのしぐさ、ゆったりした動きなど、短い余生を過ごす老人を見事に演じられていた。

清水氏演じる中原老人の独白から場面は転換し、特攻隊基地の宿舎で遺書をしたためる松井氏演じる浅井の姿があった。
この間に清水氏は老人の姿から特攻隊員中原へと早着替えしなければならないのでいわゆる「場つなぎ」のシーンなのだが、
家族との思い出を振り返り、家族が大事にしていたものを身につけ、時折逡巡しながら遺書を書き進める浅井の演技は少しも間延び感がなかった。
さすがは僕らの松井勇歩である(言わずもがな贔屓目で観ている)。
その後中原がやって来て、最初こそ堅苦しいやり取りをするものの、次第に昔からの幼なじみへと戻っていく。

しかし、そんな穏やかな時間も残り少ない。
彼らは未明に出撃し、朝日とともにその命を散らす運命なのだ。
ためらいながら、中原が最期のわがままを、と浅井に切り出す。

「夏子が基地の外の林で待ってる。会ってやってくれ」
「……隊長からもう基地から出るなと言われてる。夏子に会うことはできない」
「夏子がここに来たのは俺に会うためじゃない!勝っちゃんに会うためだ!!

これが今回の作品のメインキャラクターによる三角関係だ。
中原と夏子、浅井の3人は幼なじみで、たしか冒頭でも中原老人が「皆の憧れの的だった夏子に中原も浅井も惹かれていた」と語っていた。夏子を2人の男が取り合うのか。なるほど。
浅井が答えあぐねるまま、更に時をさかのぼって夏子が基地にはじめて訪れる場面に変わる。


夏子は先任の昭代に連れられて基地へと足を踏み入れる。質素すぎる宿舎に驚く夏子をよそに、昭代が淡々と宿舎と特攻隊に関して説明する。
この昭代を演じるのがさきぽんこと竹本彩姫さん。恐ろしく顔が小さい。あと声がとても澄んでいる。抑揚が少なくやや早口で話す昭代のセリフも不思議と聞き取りやすい。
さきぽんさん、これが二度目の舞台と聞いていたが十分存在感がある。本業はアイドルなので女優業は二の次だろうが、卒業後はぜひ女優として活躍していただきたい。

その後特攻隊員達が続々と宿舎に戻って賑やかになったところで、中原と浅井が夏子と再会する。
昔話に華を咲かせるなか、中原だけはどこか孤独を感じているようだった。
何故なら浅井と夏子はお互いに気持ちこそ伝えていないものの、お互いを想い合っているのだから。報われない主人公の、苦い恋である。


その後色々あって(夏子に近寄ろうとする隊員を牽制する中原と浅井の幼なじみタッグは素晴らしく笑った)(さきぽんさんの膝枕シーンはさきぽんさんファンでなくても羨ましすぎて爆発するかと思った)、宿舎内で告白大会のような流れになった。

こういう奴いるよな~!「お前○○のこと好きなんだろ~」「ばっ、バカ!何で今言うんだよ!////」ってやつ~!学生時代クラスにいたよ~!!
ただ、これが現代ならもじもじしたり野次馬がやいのやいの騒ぐだけで終わるのだが、
ここは特攻隊基地。短い恋に終わるのは必至である。
重苦しい空気を最初に破ったのは中原だった。

「……俺は夏子の事が好きだな」

出し抜いたァ~!!!!(ノリノリ)
浅井も夏子も動揺している。無理もない。浅井は夏子を先に奪われ、夏子は命短い中原の申し出を断る事ができないのだから。中原、ずるい男である。

その後、中原と夏子の婚礼ごっこが執り行われるのだが、完全に当時の日本では煙たがられそうな誓いのアレで大丈夫か????と本気で心配した。
それ、君らが鬼畜米英と憎む国で最も割合を占めてる宗教だけど本当に大丈夫????
他宗教も何もない国だから許されるのかな…いやでも戦時中は天皇が神だったのでは…??あれ…??
まあこれフィクションだから!!!!
魔法の言葉、とても便利。

三角関係なのかバミューダトライアングルなのか

中原と夏子の関係が無事(?)に祝われたのち、宿舎で浅井と夏子が二人きりになる場面があった。
中原と付き合うこととなった夏子を前に、あくまで二人の恋路を応援する態度をとる浅井。そこで夏子が口を開く。
「私とオサム、……まだ何もしてないから
なんだなんだ、これから昼ドラでも始まるのかな????
夏子は清純派だとばかり思っていたが、なかなかのやり手である。可愛い振りしてあの子 割とやるもんだね、とかいうアレである。
しかし夏子の発言にも浅井はさして気にするふうでもない。

あれ?
浅井って夏子のこと好きなんじゃなかったっけ??
僕があれこれ考えているうちにも二人は会話を続け、「オサムはさみしがり屋だから」と浅井は言う。

「勝っちゃんは(特攻で死ぬのが)さみしくないの?」
「ああ。俺にはオサムがいるから

ん?
んん????
まって浅井それどういう事????

僕の疑問を察したかのように夏子が「どういうこと?」と問う。ありがとう夏子、いま君は我々観客の期待を一身に背負っている。
「一緒に育って最期も一緒に死ぬんだ。それって最高じゃないか?
だから浅井それ本当にそれどういう事……
これは所謂BLというやつなのだろうか。ボーイズラブという…やつ…?


誤解のないよう断っておくが、人には様々なセクシャリティがあるものだから、僕は別に同性愛を否定しようとかそういうのでは決してない。……のだが、だが浅井、お前今までそういう素振り一切見せてなかったのになんで突然そんな意味深なセリフ言うの。僕や夏子が疑問に思うのも無理はない。
だがここで夏子は「ちぇっ」とややふてくされながらそっぽを向く。そして浅井の方へ振りかえり、二人はいつものように笑いあう。

夏子あっさり許容しとるやないか。
まさに急襲を受けている心地である。奇襲を受けたのは夏子ではなかった。僕だったのだ。

あと夏子がそっぽを向く前に浅井が「俺はオサムと二人で死ねるからオールオッケー(意訳)」みたいなことを言っていたような気がするのだが、多分気のせいではない。他の隊員も一緒に出撃するのにまるで二人きりで出撃するかのような言い回しだったのは多分気のせいではない。
夏子を中原を浅井が取りあう三角関係かと思いきや、実際は中原→夏子→浅井→中原 のバミューダトライアングルだったようである。

そんな僕の混乱をよそに、二人のいる宿舎へ中原が現れる。
中原は二人を見た瞬間その場から離れようとするが浅井に引きとめられ、そして引きとめた浅井自身は「お邪魔虫は退散するよ」と宿舎を後にする。
浅井勝彦はクールに去るぜかよ。どこまでも良いやつかよ。

中原は変わらず浅井と夏子が想い合っていると信じている。違う、違うんだ中原、浅井は夏子ではなく本当はお前のことを……。
そんなことを知るよしもなく、「俺のことを好きだと言え!」と夏子に迫る。まっすぐ中原を見つめ「好きよ。」と告げる夏子。しかし、その言葉を聞けば聞くほど信じられなくなっている中原の姿が哀しかった。

そして、いよいよ出撃の命が下される。

恋のバミューダトライアングルと違和感の原因、選ばれなかった僕

場面は変わって出撃の1時間前、基地の外で待つ夏子に会ってくれと懇願する中原と、答えあぐねる浅井のシーンに戻る。
それまで悩んでいた浅井が口を開く。
「夏子には会えない」
それでもなお抗議しようとする中原に、浅井は胸ぐらを掴みながら
俺の言葉を聞け!俺を見ろ!
と叫ぶ。そうだよな、中原はいつも夏子のことばかりで浅井のことは全然見てないもんな。好きな奴に自分のほう向いてほしいもんな。

その後、「もう自分たちは出撃するし、そこに夏子はいない、死ぬのは親友の俺たちだけだ」という旨の言葉が続く。
中原も中原だが、浅井も本当にこう……夏子のことアウトオブ眼中だよな。3人それぞれが報われていない。つくづく気の毒である。

中原もこれ以上は無理だと悟ったようだ。浅井がさらに続ける。
「俺が親友と呼べるのはお前だけだった。親友のお前と一緒に死ねるのが嬉しい」

あっ……あくまでも親友ポジションを貫くんだな……。
いや、そもそも僕が腐女子的解釈をしすぎていたのかもしれない。中原が夏子に向けているものと夏子が浅井に向けているものは恋愛のそれだが、浅井が中原に向けているものはあくまでも親愛や友情の類かもしれない。というか松井氏ならいかにもそう解釈しそうである。
僕が自分の曲解を反省している間に、中原と浅井をとりまく空気は穏やかなものへと変わる。


しかし、そんな時間もあっけなく終わってしまう。
中原たちの隊も全員集合し、遂に出撃の時が来た。その時、隊長の口から予想もしなかった言葉が発せられる。

「中原の機体のエンジンがかからん。エンジンが直り次第、我々に続いて出撃するように」

中原の表情がみるみる絶望に染まるのが見える。
「どうして、どうしてですか、」
「分からん。今整備の者が急ぎ整備にあたっている。それまでお前は待機だ」
これほどむごいことがあるだろうか。
仲間が死地で華々しくその命を散らすなか、中原は一人基地でエンジンが直るのを待つしかないのだ。たった独り残されて。
美しく死ぬことすら許されないのである。縋るように中原が声を震わせる。

「嫌です、俺も連れて行ってください!他の機体でも他の燃料でも何でもいいです!だから、」
他に使える機体がないんだ!

場が静まりかえる。そう、隊長も隊員も、中原の置かれた状況がいかに残酷であるかを知っている。
だが、それでも彼らは中原を連れて逝くことはできないのだ。

泣き崩れる中原を起こし、激励の言葉をかける隊長。それに続き、中原へ最期の言葉をかける隊員たち。
皆一様に爽やかな笑顔で宿舎を後にした。


最後に残ったのは浅井だ。
この時の浅井の心情はどれほどであっただろうか。最後の最後で、親友、もしくはそれ以上の感情があったかもしれない男とともに逝くことが叶わなかったのだから。
それでも浅井の言葉はひどく静かで、穏やかで、柔らかかった。

「じゃあな。」

あああ~~~~!!!!!!!!松井勇歩~~~~!!!!!!!!!!!!
ここで涙腺が爆発した方も多いのではなかろうか。少なくとも僕は脳内でスタンディングオベーションの大喝采だった。
いやもうこのシーンだけで松井勇歩がいかに優れた俳優なのかがよく分かる。何なんだあの声、あの表情。最高かよ……。
そしてやはり松井氏の解釈では、浅井が中原に抱いているのは純粋な友情なのだろう。まず間違いない。
そうでなければこの別れのセリフはここまで美しく澄んだ音で響かないだろうから。
たったひとことで観客を感動の渦に巻き込む男、松井勇歩。贔屓目とはいえ流石である。


夜が明け、夏子が宿舎に入ると、そこには一人すすり泣く中原の姿があった。
夏子に気づいた中原は何かに怯えるように「俺も行くから、必ず死ぬから」と泣きながら頭を下げる。
夏子は中原の元へかけより、震える中原を抱きしめるのである。

そして8月15日、玉音放送が流れ、長かった戦争が終わりを告げる。


場面は現代へと移り、中原老人の独白が終わった。
夏子の孫娘は中原へ心から感謝を述べ、夏子が中原にあてたという手紙を渡して立ち去っていく。
夏子が死の間際に残した手紙にはこう記されていた。

戦争の後、夏子は夫に恵まれ、子宝にも恵まれ、幸せな人生だったということ。
しかし、その間にも中原と浅井のことはひとときも忘れたことはなかったということ。
中原は気づいていなかったが、浅井は中原のことばかりで自分には見向きもしなかったので嫉妬していたということ。

あっ、やっぱりそうなんですかね……????

しかしその直後に「神田隊長にも『二人の邪魔をするな』と注意された」と続くので、やはり浅井の中原に向けていたベクトルは友情だったのだろうか。
僕もう分からなくなってきたよ……。
いずれにせよ、夏子が嫉妬するほど中原しか見えていなかった浅井勝彦、おそろしい男である。


最後は中原老人の、若き頃にしみついたこの言葉で締めくくられる。

操縦桿をオサエロ、最後の生きる力だ、オサエロ、オサエロ、オサエロ──


あっという間の100分だった。
清水氏をはじめ、誰もが見事な演技を披露してくれた。カーテンコール、最後まで演じぬいた彼らに惜しみない拍手を送る。

しかし、僕の心はどこかここにあらずだった。
こんなに素晴らしい舞台だったのに何故だろう。どこかぽっかりと穴が空いたような、物足りなさが残っていた。
その理由も、主演の清水氏が最後の挨拶を始めてすぐに理解した。

昼公演と挨拶の内容がそのまま同じなのである。
気付いた瞬間、僕は総毛立つのを感じた。主演による同じ終演後の挨拶、そして硬い表情のままの松井氏。すべて昼に観た光景と寒気がするほど一緒だったからだ。
最後まで脚本通りで、決して広くはない劇場なのに板から遠く離れているような、まるで何度も同じ映画を観ているような感覚だった。


思い返せば、カーテンコールに限らず本編も限りなく脚本通りだったのではないだろうか。
演者の細かなセリフの誤差を除けばアドリブらしいアドリブはまったく見られなかったし、千秋楽は最初から最後まで昼公演との違いが見つけられないほどだった。

確かに何公演も続けるなか、同じクオリティを観客に提供しつづけることは全員の並々ならぬ努力を要する、非常に高度な技術を必要とするのは分かっている。
しかし、そうした「ナマモノ」だからこそ、要所要所のアドリブが活きるのではないだろうか。

また、役者がセリフを発する際、話しかけている相手の方ではなく観客の方を向くなどといった舞台的な演出が極端に少ないことにも気がついた。
舞台的な演出をやめることでよりリアルへと近づくが、観客と役者が向かい合わない分、お互いの間に一体感がなくなり、ギャップが生じて見えない壁が立ちはだかるのだ。
そして『ナマモノ』の舞台が映画的になり、観客と演者の距離が遠く感じられるのである。


すべてが腑に落ちた。
これらの統一された演出やリアル表現は決して不正解などではない。
単純に、僕がこの舞台で観客になれなかっただけなのだ。

自分がはまっているジャンルに関して、例えば期待していた割につまらないだとか高いだとか、そういうネガティブな感情で見てしまう場合、供給側からすれば自分はその時既に『対象外』なのだ。

また、今回の場合は僕がいつもの松井勇歩を期待して観賞したのも一因である可能性が高い。
元々彼はアクションやコメディでアドリブを織りまぜながら魅力を発揮する俳優で、派手な動きの少ないラブロマンスを苦手とする節がある。
つまり、この作品自体が彼の苦手要素しかないのである。そのうえ稽古期間がわずか6日で、役作りにも非常に厳しい状況であったに違いない。

結果として、今回は「浅井を演じる松井氏が出演する舞台」ではなく、「松井氏が縁あって演じることとなった浅井が登場する舞台」となり、松井氏が浅井勝彦である必要性が一切ないものになっていた。それこそ、浅井を別の役者が演じて、松井氏が他の特攻隊員役でもまったく支障がないくらいに。

自らを観客ならざるように観てしまった僕が一番の原因だが、結果として僕は舞台「オサエロ」で観客になることができなかった。招かれざる客だったのである。


千秋楽も無事に終わり、劇場は感動した、涙が止まらなかったと称賛する声であふれかえる。
誰目線だと揶揄されそうだが、僕はそれが本当に嬉しかったし、安堵した。皆、選ばれた観客であったからである。
おめでとう、そしてありがとうと、心の中でこぼし、僕は劇場を後にした。

帰りの電車は、普段使わない有料特急に乗った。徒労感がひどかった。主催側に憤りを感じることもなく(そもそも素晴らしい舞台だったのだから僕が怒りを覚えるのはお門違いだと思う)、観客になり得なかったという初めての体験がただひたすら虚しかった。


家に着くなり、録画したまますっかり観そびれていたドラマ「大阪環状線シリーズ」を観る。第5話、松井氏が奔放な男の弟役として出演している。
そう、この顔、この表情だ。
これが観たかったんだ。
そして先日、新たな舞台に向けて意気込む松井氏のツイートが投稿されていた。僕がよく見ていた、いつもの松井勇歩がそこにいた。


松井氏はこれからも今日のような舞台に立ち、そして役をまっとうするだろう。色々な思いをその内に押し込め、時には押し殺し、演じることもあるかもしれない。それはただの観客にすぎない僕には分かりようもない。
それでも僕はこれからも、板に立つ彼の姿が観られることを心待ちにし、劇場に足しげく通うのである。

舞台「里見八犬伝」で推しがワンツーフィニッシュした話

先の4月30日、僕は里見八犬伝の夜公演を観劇した。大阪千秋楽だ。
観終わった後の余韻というか衝撃というか、抑え切れない思いがいまだに込みあげてくるので、舞台から数夜開けた今、液晶画面に向かい、わざわざブログを開設してまで文字を打ち込んでいる。

ネタバレは勿論のこと、かなりの長文になることが予想されるので、よほど暇で時間を持て余している、などではない限り読み進めないことをおすすめする。また、舞台関係者の名誉の為にもことわっておくが、決して批判のために記事を書いている訳ではない。僕はこの舞台を本当に楽しめたし、大好きだと胸を張って伝えたい。各SNSで叫ばれている観客のマナーの悪さなどを差し引いたとしても、本当に良い舞台だった。

里見八犬伝を観るまで

僕は南総里見八犬伝の現代語訳された書籍を中学生の頃にいくつか読んでいたものの、当時は周りにその楽しさを共有できる友人もいなかったので、一人で八犬伝の世界に没頭していた。
冒頭の伏姫のくだり、浜路と荘助信乃の青春、信乃と現八が対峙するシーン、小文吾の相撲取り、華やかな毛野、化け猫退治、チートの新兵衛、大角と道節(恥ずかしながらこの二人の印象が残っていないので、本人達には少し申し訳なさを感じている)、一部アレな展開もあるとはいえ勧善懲悪ものの大団円ストーリーが大好きだった。

2017年に入り、里見八犬伝が舞台化されると知った。今までも数多の舞台、ドラマ、映画、マンガなどが発表されていることは知っていたが、今回は僕の推しである和田雅成が犬田小文吾として登壇すると知り、観ることを決めた。
キャストが発表された当初、原作の小文吾と似ても似つかぬ容姿の彼が選ばれたことに動揺こそしたものの、華のある俳優なのでいい感じになるんじゃないかと思う。これはファンの贔屓目だが、衣装つきのビジュアルが公開された時も「なかなかいいんじゃないの」と感じていた。

残念ながらチケットは自力では取れなかったので、フォロワーさんの好意でチケットを用意してもらった。梅田芸術劇場の1階20列目以内下手、程よく全体も見渡せる。自分ではこんな位置は到底引けないだろうから、やはり持つべきは心優しいフォロワーさんである。


開演前にフォロワーさんと合流し、いよいよ客席へ向かう。
メインホールに入ると緞帳は既に上がっており、迫力のあるセットが迎えてくれた。おお、これが梅芸か。全国公演で各地を回る舞台なのか。やはり大規模な舞台は違うなと感動する。


隣に座るフォロワーさんは田丸敦史推しだ。今回は犬村大角を演じるらしい。山﨑賢人君が主演をつとめるので信乃が出ずっぱりなのは当然だが、大角も小文吾も八犬士なのだから立派に活躍することはまず間違いないだろう。そして客席の照明が落ち、いよいよ舞台が始まった。

レンガで殴られ続けるような衝撃の連続

まず原作冒頭の伏姫の自害シーン、あれが丸々はしょられており、信乃が浜路を連れて逃げ、追手に追われるシーンから舞台は始まった。少々驚いたものの、まあ長編作品だし伏姫が省略されるのはしょうがないよな、尺足りなくなるもんなと納得した。

しかしこの信乃、やけに性格ひねくれてるというか爽やかさに欠けるというか、人間離れした好青年感がない。……とその時、信乃が親父殿を斬ってしまう。

ものの5分で軽くパニックに陥る。おかしい、信乃が例え義理の親であったとしても父親を斬り捨てるだろうか。というかそんなシーン原作にあっただろうか。あまりの急展開に、あの時の僕はきっと、何者かに背後からレンガで殴られた被害者の顔をしていたと思う。

逃げる信乃たちの前に荘助が現れる。信乃が荘助に見逃してくれと乞う。俺たちは竹馬の友じゃないかと。
そうそう、信乃にとっての荘助や浜路は、幼い頃からずっと一緒にいた家族同然の存在なんだ。自分の立場に苦しみながらも、きっと荘助は見逃してくれるんだ。荘介はそういう義の男なのだ。

「信乃、お前のことは見逃してやる。ただし、浜路さまは置いていけ

えっ、

「俺だって浜路さまのことを……!!(抜刀)

待って、待ってくれ荘助。

脳内でツッコミが止まらない。再びレンガで殴られたような衝撃をうけながらも、脳内ツッコミをうっかり口に出さなかった自分を誉めてやりたい。
違う、そうじゃない、そうじゃないんだ荘助、何で親友たる信乃に斬りかかってるんだ。え?何事に関しても自分の上位互換な信乃に嫉妬してる??更には浜路さままでって??落ち着けよ荘助、お前は信乃と張り合わなくても充分良い男だよ。心根が優しくて腕もたつ。何より中の人が玉ちゃんだ。もっと自信もてよ、な?

僕の一人(脳内)ツッコミも空しく、仲裁に入った浜路は二人の刃に貫かれて事切れてしまう。そして荘助も信乃に斬られて昏倒する。あああ……。

とはいえ信乃も重傷を負っている。このまま信乃も倒れてしまうのか……おや、信乃が胸を押さえて苦しんでいる。これってまさか…………まさか…………

「……何だこれは!?」

ああ~~~~!!!!玉出た~~~~!!!!(※八犬士の証である玉であって玉ちゃんではない)

この八犬伝ではどうやら八犬士の体の中()から玉が出てくるらしい。息を引き取ったと思われていた荘助もこの直後に息を吹き返し、懐から玉が出てきたので、もしかすると一度死んでからが本番、みたいな設定なのだろうか。
ともあれ信乃と荘助の仲は拗れたまま、二人のそれぞれの旅が始まる。


里見の城下町へたどり着いて間もなく、信乃は女性に扮する毛野と出会う。毛野の優美な立ち振舞いに癒されたのもつかの間、御尋ね者である信乃は追われ、現八と闘うのである。

しかし、闘っている最中、普通に現八の中から玉が出てきてしまう。

またもレンガで殴られる衝撃。現八の体から大きな怪我もないまま玉が出てきたということは、玉が出てくる条件に「八犬士の第一の死」的なものは必要ないということになる。
じゃあ荘助が一度死んだと思ってたのは、実は死にかけていただけでちゃんと生きていた、ということだろうか。まあいずれにせよ、玉ちゃんが無事に生きていたので良かったのだが。

そうして信乃も自分の玉を現八に見せ、自分たちは何らかの同志であるらしい、ということを悟る。その後、自分たち以外にも他に仲間がいるかもしれないと、二人は行動を共にする。


一方、信乃と別離した荘助は丶大法師と犬村大角に出会う。これがフォロワーさんの推しか、なるほど。
大角は弱い者に手を差しのべる心優しい医者だった。……良かった。今まで出てきた八犬士が曲者揃いだったのもあり心から安堵する。荘助も大角さま、と尊敬の念を抱いているようだ。良かった。

すると突然、大角がひどくむせはじめた。口を押さえていた懐紙が、血で赤く濡れている。……えっ、喀血?した、のか?

「障気に体を蝕まれ、あとひと月もつかどうかと言われております」

お前が死にかけてるじゃねーか!!!!!!!!

もはや八犬士を探すどころではない、とんでもない重篤患者である。本人はやる気満々だが、こんな状態で仲間を探すのは流石に無理があるのではないか。というか病んだ民を診る前に自分が診てもらったほうがいい。最優先事項を完全に見誤っている。

しかし荘助は大角のその姿を見て一刻も早く仲間を集めなければと決意を固める。違う、そうじゃない、そうじゃないんだ荘助。もう少し大角を労ってくれたって良いじゃないか、悪と闘う前から大角が満身創痍ってどうなんだ。それに丶大法師だって少しは止めに入ってもいいんじゃないか。

そんな僕の心配をよそに、三人は仲間を探すべく立ち上がる。あああ……行ってしまった……。


その頃信乃は現八とともに犬田村へ逃げ延びていた。そこで二人は和田雅成演じる犬田小文吾と弟の房八、妹のぬいと出会う。房八は八犬士を探して旅をする信乃たちに自分も連れていってくれと願い出るが、兄の小文吾に叱責されてしまう。「俺たちは百姓で、お前はまだ子どもだ」と。

小文吾お前、いつの間に百姓はじめてたんだ。

百姓だったら小文吾だけ帯刀できないじゃないか、だとしたら武器はどうするんだろうか。百姓らしく竹槍か?いやいや、それなら鍬や鋤のほうがそれっぽいんじゃ……いやいや……。
再び脳内ツッコミを繰り広げている間に、八犬士にとっての敵である玉梓の手下が犬田村に火を放った。

「俺たちの村が!!!!」

まさか自分が登場した数分後に自らの村が燃やされるなど、流石の和田雅成も思っていなかったに違いない。
しかしよく通る声である。房八を叱る声も然り、やや早口で捲し立てていても、和田雅成の声は聞き取りやすいのだ。小文吾がメインのシーンなのでここぞとばかりに推しておく。

そして無惨にも犬田村は燃え続け、房八とぬいは玉梓の手下に殺されてしまう。叫ぶ和田雅成。手下に斬られて倒れる和田雅成。房八をかばうように覆い被さる和田雅成。あ、これは荘助たちと同じで一回死ぬパターンだな。ここ辺りで、だんだんレンガで殴られ続けるのも慣れてくる。

そこで意外にも、犬江親兵衛が登場する。彼は圧倒的なチートスペックを持ち合わせつつも、虫の息のぬいにさも当然といったふうにとどめを刺そうとするとんでもないサイコパスだった。原作でも人間離れした存在ではあったが、思わず親兵衛様呼びしてしまうくらいにはクレイジーな人物である。この時はさすがに周りが一斉に親兵衛を止めていた。レンガで殴られ続けた僕のほうがおかしくなってしまったのかと疑い始めていたので安心した。
その後、和田雅成からも無事に玉が出て八犬士の仲間入りをはたす。犬坂毛野と犬山道節以外の6人が事実上揃ったところで、第一幕は終わる。

大角の独白と世襲制

次の幕が開かれるまで約20分の小休憩を挟んだが、この時点で僕はフォロワ―さんが気の毒でならなかった。彼女もまた原作のストーリーを知っていただけに、よもや序盤で推しの余命が1ヶ月と宣告されるとは夢にも思わかなったはずである。まるで末期がん患者の家族を見守っているかのような面持ちだ。
「大角が終演までちゃんと生きられますように」
フォロワ―さんのためにも、ひたすらそう願うばかりであった。

いよいよ第二幕がはじまる。本来の男の姿に戻った毛野と信乃が再会し、丶大法師率いる八犬士たちと合流する。ここでお互いが八犬士だということを知り、揉める信乃と荘助だったが、なんやかんや周囲になだめられて渋々行動を共にする。
ここで残る八犬士は忠の玉を持つ者ただ一人となった。するとここで、大角による突然の独白が始まる。

「医者などと名乗っておったが、昔は盗賊をやっておってな……」

待って。

待ってくれ。そんな風にお見合いの席で「生け花などを嗜んでおりまして」って良物件アピールするみたいなノリで告白しないでくれ。
殴られ続けてそろそろ血液が足りない。もしかしたら隣に座るフォロワ―さんは血の流しすぎでもう意識を失っているかもしれない。そう思うと怖くて横を向くことができない。

大角の独白が終わり、伏姫の精によるレクチャーがひととおり済んだあと、犬山道節が現れる。道節は第一幕で玉梓と手を組んでいたため敵方として登場していた。しかしそれは、妻子である自分や自分の母を捨て置き、八犬士を探し求め旅に出た父、丶大法師に復讐するためだったのだ。
緊迫した空気が流れる中、親子の真剣勝負が始まる。しかし、最終的に丶大法師は息子の刃を逃げることなく受け止め、斬り倒されてしまう。
震える声で、何故避けなかったのかと道雪が詰問する。本当は道節も父を斬りたくなどなかったのだ。
死の間際でかつての父と子に戻る二人。最後の力を振り絞り、丶大法師が懐から何かを取り出し息子に託した。

「……ずっと、この玉を受け継いでくれる者を探しておった。」

忠の玉持ってたのオッサンやったんか~~~~~~~~い!!!!!!!!!!!!!

玉って世襲OKなのか、そういうものなのか。というかそもそも信乃と毛野が合流した時点で八犬士全員揃っとるやないか。
大角なんてもうここで絶望してたんじゃないだろうかと思う。余命が限られている中であと一人を探さなければならないという時、側にいるおじさんが突然「実は持ってました~」と玉を出し始めたら、それはもう、なんとも言えないやるせなさに襲われていたに違いない。もしかしたら丶大法師をレンガで殴りたい衝動に駆られていたかもしれない。
ともあれ丶大法師の最期を見届けたのち、一行は玉梓を倒すべく立ち上がる。

そして推しのワンツーフィニッシュへ

遂にこの時が来た。八犬士が玉梓一味を倒すべく立ち上がったのだ。
しかし厄介なことに、玉梓は妖術を用いて死者を甦らせて配下に置くため、玉梓の意のままに何度でも立ち上がる、不老不死の軍を作り上げている。一筋縄ではいかない。敵が一向に減らないまま、ゆっくりと玉梓のアジトの城門が閉まっていく。

すると、大角が一人城門の外に残り、敵を蹴散らしはじめた。
「皆は先に行け!ここは俺が止める!!」

あああ……そのセリフを言っちゃ駄目だ……。そのセリフは言ってしまったが最後、どんな状況でも死亡フラグが立ってしまう呪いのセリフなのだ。続けて大角は敵に向かって「誰ひとり行かせはしない!」と言い放つ。それも言っちゃ駄目なやつだ。
隣で座るフォロワ―さんがどんな表情をしているかなど、もう見れるはずもない。だってさっきからずっと横で震えているのが分かるのだから。

頼む、頼むからこの場は何としてもしのぎ、皆と合流してくれ大角。這ってでも生き延びてくれ。そうでもないと、お前が元盗賊の自称医者(余命1ヶ月)のまま、八犬士の中で一番に死んでしまうなんてあまりにフォロワ―さんが不憫すぎる。
しかし僕の必死の念もむなしく、大角は何度も斬りつけられ、その生涯を終えるのである。あああ……怖くて横を向けない。

死の間際、おそらく走馬灯のようなものであると思われるが、再び大角の独白が始まった。自分は数多くの者を傷つけ、そしてわずかばかりの命も救うことができなかった。自分は礼をもって人に接することが果たしてできていたのだろうか、と。

「……俺には、分からない……。」

ああああああああああああああああああ
誇りを持って討ち死にしたならまだしも、こんなにも虚しさを抱えたまま逝かせてしまうのか。そんなことがあっていいのか。いくらなんでもこれは、これは、あんまりなのではないだろうか。

その後、大角を失った一行は敵をなぎ倒しながら更に奥へと進んでいく。その際下手側の客席通路、つまり僕たちの前を通っていった。和田雅成が僕の前を通った。でも僕は素直に喜ぶことができなかった。なぜなら、その一行の中に大角の姿がもうなかったからである。大角が逝ってしまったという事実が、僕に重くのしかかる。


しかし舞台は無情にも、大角の無念をよそに物語を紡ぎつづける。城内に入った一行はまたも敵に囲まれる。激しい白刃戦のなか、突然小文吾が血相を変えて叫び、仲間を置いて突っ込んでいく。

「弟たちの仇!!!!!!」

ああああああああああ~~~~~~~~もう駄目だ~~~~~~~~~~~~~
もう駄目だ……
大角に続いて小文吾も完全に死亡フラグが立ってしまった。もう駄目だ。
まさか僕たちの推しが続けざまにフィニッシュするなんて誰が想像できただろうか。

全身から力が抜けてしまい、手に力が入らない。この感覚は覚えがある。そう、確か大怪我を負った時がこんな感じだった。自分がどんな状況に置かれているか理解できていないから痛みはまったく感じないのに、体は怪我しているからうまく動かせない、あの感覚に似ている。

まだ目の前で壮絶な戦いが繰り広げられているにも関わらず、僕はここで犬田小文吾の死を悟ってしまう。
時に兄として、時に親として弟妹を見守ってきた小文吾。家族を愛し、家族の為に戦う小文吾。そんな彼を和田雅成が演じてくれて本当に良かった。今までなかなか演者としての君を素直に評価できずにいたが、僕と同じ関西出身で年の近い君が活躍する姿に憧れていて、君みたいな人間になりたいと思っていただけなのだ。そんな和田雅成が獅子奮迅の働きをみせ、犬田小文吾として幾度目かの生涯を終えること、本当に誇りに思う。いくら感謝してもしきれないほどの感動をありがとう。そして君がこれからも沢山の舞台で輝き続けることを、大勢の人を幸せにしてくれるであろうことを、僕は願ってやまない。

この戦いもじきに決着がつくだろう。小文吾も幾度となく斬りつけられ、最期が近いのは明白である。せめてその最後の一振りを、弟妹の思いをのせて、振り下ろしてほしい。

ひとつ言いそびれていたが、この舞台での小文吾は百姓設定のため、刀は佩いていない。代わりに武器として使用しているのが、両手に握られた二本の斧であった。確かに、鍬や鋤に比べて見栄えも良いし、竹槍ほど安直でもない。対峙している敵は二人組であるが、対する小文吾も(斧を刀と表現して良いのかは分からないが)二刀使いのため、構図的にも問題ない。
つまり、今にも差し違えようとしているこの瞬間、小文吾は自らの斧で二人同時に倒すのだ。

自分を刺し貫いた敵二人に向かって渾身の一振り。和田雅成の絶叫。重い一撃を受けた敵はどちらも昏倒する。
なおも立ち上がろうとする二人にもう一振り。更にもう一振り。
最後の足掻きをみせる敵をねじ伏せるように留めの一振り。

……結構容赦ないな??

一撃目以降、敵はばたばたともがいていたものの、彼らは小文吾に一撃も与えられていない。つまり、二回、三回、四回とつづけざまに二本の斧で敵を殴り殺しているのである。まさに撲殺天使マサナリちゃんここに爆誕である。

ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー♪

さっきはあんなに感傷的なムードだったのに……いやこの瞬間にドクロちゃんを思い出してしまった僕が一番悪いんだが。自分の妄想で舞台に水を差してしまっては本末転倒である。
でも和田雅成ががむしゃらに斧をふるう姿に、僕はどうしても撲殺天使ドクロちゃんを重ねずにはいられなかった。まともに視聴したことすらないのに、である。
この日ほどオタクである自分を恨んだこともそうそうないだろう。つらい。

そもそもこの舞台において、小文吾は殺された弟妹のために、自らの命を犠牲にしてまでその復讐を果たす、という描写しかされていないのである。これではこの舞台で初めて和田雅成を観る方にはただの「復讐お兄さん」と映ってしまうのではないか。非常に不安だ。
それに小文吾は本来であれば見せ場が沢山ある上に設定大盛りのキャラクターなのだ。その上尻には牡丹の痣が…………痣?

そういえば牡丹の痣も一切言及ないな!?

和田雅成の尻を晒すのが事務所的にNGだったのか、それとも尺の都合上そこまでやってられないのか僕には知る由もない。でも和田雅成の尻を拝見したところで妙な罪悪感と女性陣の黄色い声で満たされることは必至なので、ある意味拝めずに済んで良かったのかもしれない。


かくして僕とフォロワ―さんは、自分たちの推しを見事にワンツーフィニッシュで失うのである。しかも余命一ヶ月の医者(元盗賊)と撲殺天使マサナリちゃんという形でだ(後者は確実に自業自得だが)。

この後も現八、道節、荘助、親兵衛、毛野と、信乃に思いを託して次々に死んでいく。それぞれの思いが信乃の孝の玉に宿り、ひいては玉梓を倒す力となるのだが、申し訳ないことにこの時は大角と小文吾のことがあまりにショックだったので詳しくは覚えていない。舞台の、役の上での死にここまで衝撃を受けるとは思っていなかった。これを打っている今でさえ、思い返すと心が痛む。


結論から言うと、最後に一人残った信乃は八犬士の思いがひとつになった霊玉の力により玉梓に勝ち、長かった里見の戦いは幕を閉じる。
その後、信乃は幼い少年少女と出会う。彼らは朽ちた森に苗木を植えているところであり、自分たちが大きくなる頃にはこの一帯を緑豊かな森にしたいと語る。
信乃はそんな彼らに穏やかに微笑み、苗木の傍にこれを埋めてほしいとただ一つ残った自分の玉を差し出す。そうして信乃は、また前を向いて歩みだすのだ。

正直なところ、ストーリー以外にもまだまだツッコみたい点はいくらでもあるし、挙げだしたらキリがない。それでも、本当にこの舞台が観られて良かったと思っているし、確実に僕の糧になっていると確信している。
確かに原作ファンは意義を唱えるかもしれない。マナーのなってない僕たちの仲間に憤りを覚えるかもしれない。それでも、舞台セット・照明・音響・その他特殊な演出や、何より役者たちの情熱に僕たちは圧倒され、感動させられたのだ。
大阪千秋楽はほぼこの長期間つづく公演の折り返しにあたるらしいと山﨑賢人君も言っていた。まだまだ、彼らの物語は続いていくのである。


闘い、散っていった彼らが死を迎えた後どうあったのか。里見は、信乃はどうなったのか。これから八犬伝を観る予定がある方は、ぜひその答えを確かめに行ってもらいたい。

そして、例え舞台にレンガで殴られ続けようとも、推しがワンツーフィニッシュを決めたとしても、この面白さは得難いものなのであるということを、感じていただきたいのである。