日々の掃き溜め

知らない誰かにどうしても伝えたいことをこっそり書いているブログ。

舞台「大阪ドンキホーテ」で恋に落ちた話

3月24日、大阪の中央公会堂で舞台『大阪ドンキホーテ』を観劇した。
その時の観劇で抑えきれない衝動に駆られ、こうしてキーボードを打ち続けている。
ネタバレや個人の主観、記憶違いを多大に含むため、そういった類いが苦手な方は読み進めないことをおすすめする。

そしてそれ以上に、フェチとか性的嗜好といったものが含まれているので、嫌な気配を感じたらどうか見なかったことにしてほしい。


今回の舞台は劇団Patch大阪市のコラボ企画で、「普段は演劇に触れる機会のない人にも今後親しんでもらえるように」と大阪市が発案したものである。
そこに劇団Patchが応募し、見事に審査通過。今回の舞台が実現したのである。
演目は劇団鹿殺し・丸尾丸一郎氏の代表作「スーパースター」を劇団Patchにあわせて翻案したもの。
演出を同じく劇団鹿殺しの菜月チョビ氏が務めるとあり、どんな作品になるのかと期待で胸がいっぱいだった。


地下鉄淀屋橋駅から5分少々、重要文化財である中央公会堂にたどり着く。
もともと劇団Patchの舞台を観るのが好きだった僕は、中央公会堂を前に色々な感情がこみ上げてきた。
劇団Patchは100席前後の小劇場で公演することが圧倒的に多い。
客演としてではなく、劇団Patchが主体となって行う舞台で、国指定の重文、しかも何百人と収容できる環境で彼らを観られるということが嬉しくてしょうがなかった。

2日間3公演と少ないながらも、こんなに大勢の人に劇団Patchを観てもらえるなんて。
誰目線なんだという話だが(断っておくが僕は何の変哲もない一観客である)、開演前から満たされていた。


一人感慨にふけっている間に館内アナウンスが流れ、程なくして開演時間を迎えた。いよいよ千秋楽である。

一瞬で全員を魅了した納谷健

舞台は架空の都市・大淀市の団地を舞台にした一人の男の物語である。
団地の取り壊しが続くなか、最後の10号棟203号室に住む青年 星川輝一(ピカイチ)を三好大貴が演じる。

ピカイチはバイトを続けながら漫画を描き続けているが、その作品はどれも曖昧で未完だと出版社から酷評を受ける。
このピカイチを演じる三好の演技が素晴らしい。
三好はその容姿からか悪役に選ばれることが多く、劇団内でも悪役を演じさせて彼の右に出る者はいないのではなかろうか。
今回は悪役と違って主役ではあるものの、溌剌とした少年漫画の主人公からは遠く離れた、頼りなく冴えない男を見事に表現していた。

そもそも、今までまともに投稿したことすらないピカイチが出版社に酷評を受けたのは、弟の瞬一が彼に無断で原稿を送ったからだった。
この瞬一を演じるのが近藤頌利。これまでのPatch stageでは限りなくモブに近い役が多かったが、外部公演で経験を積み、まさに今作のボクシング界のスーパースターとして活躍する瞬一がぴったりな役者に成長していた。
もともと近藤は劇団内でも一番長身ではあったが、その背丈がより生かされ、ますます存在感を増していた。僕にもその身長とオーラを分けてほしい。

瞬一は団地からの退去を言い渡されているピカイチにこれ以上足を引っ張るなと苦言を呈する。
母親の死を機に父親と瞬一は団地を去り、それ以来ピカイチと彼らの間には深い溝があるのだ。
そうこうしているうちに、1本の電話が鳴る。
それは先ほどピカイチの作品群をこき下ろしていた出版社からで、「最後に送られてきた『団地の超人ブッチャー』が素晴らしい」と絶賛するものだった。

それは、ピカイチたちが幼い頃に現れた、一人の少年・ブッチャーを描いた物語だった。


ブッチャーはピカイチたちの幼少期、突然姿を現した。
団地の憩いの場・銀杏広場で主婦が集ってコーラスの練習に励み、その子どもたちが無邪気に遊ぶなか、とてつもない悪臭を放ちながらやって来たのがブッチャーだった。
ボサボサの頭にほこりまみれの半纏、ずるずるのオーバーオール。浮浪者のような姿に、皆が遠巻きに「向こうで遊んでおいで」と距離をとった。

このブッチャーを演じるのが納谷健である。
彼は僕の印象ではクールで無口な役が多い印象で、今回のような掴みどころのない飄々としたキャラクターが彼に似合うのか、果たして演じきれるのかとどうにも想像ができなかった。
前回のPatch stage 通称「ジャー忍」も納谷らしからぬと意外に感じたくらいだ。
一抹の不安を抱きながらも、僕は納谷の演じるブッチャーを見守っていた。

今の少年はなんだったのかとざわつきながらも、気を取り直してママさんコーラスは練習を再開する。今度は各々の子どもも交えて歌う「グリーングリーン」だ。
しかし年頃のせいもあるのか、子どもたちは恥ずかしがってなかなか歌おうとしない。そんな時、一人遊びから戻ってきたブッチャーが再び彼らの前に現れる。
ブッチャー何でもできるで。ブヘッ
悪臭を放ち、気合を入れた瞬間に放屁し(ブッチャー曰く「気合い入れたら屁がでるねん」らしい)、こんな珍妙な少年に何ができるのかと全員が怪訝な表情を隠せない。

だがイントロが始まり歌に入る瞬間、それまでぼんやりとふらふらしていたブッチャーの目に鋭い光がさした。


a-Well I told my mama on the day I was born
"Dontcha cry when you see I'm gone"


恋に落ちる瞬間、というものはきっとこんな風に何の前触れもなく訪れるのだと思う。
観客は言わずもがな、舞台に立っている役者たちも息をのんだのが聞こえた。
流暢な発音で歌うブッチャーに、この瞬間誰もが釘付けになったのだ。
「エイゴや…」
「原曲や…」
小さくこぼす子供たちの声を気にも留めず、ブッチャーは歌い続ける。
納谷ファンは間違いなく聞き惚れていただろうが、別の役者目当てで来ていた観客も老若男女問わず、そして僕も例外なく、恋に落ちたのである。


このように、ブッチャーは突然姿を現しては忽然と消え、数々の問題を解決して団地のスーパースターとなった。
しかしその間も、瞬一はボクシングでみるみるうちに才能を開花し、ピカイチと瞬一の差は開く一方であった。


ブッチャーが失踪して久しい頃、団地の取り壊し事業が濃厚になってきた。
表向きは団地の老朽化ということになっているが、実際は大阪-西宮間の幹線道路建設が理由だろうとピカイチの父親は考え、抗議運動を行っていた。
父親の顔に大きな痣があることに気づいた団地の子どもたちは、ピカイチに何があったのかと問う。
ピカイチの父はうどん屋を営んでいるが、経営難のためにたびたび一富士という金貸しから借金の取り立てがあった。
顔の痣は一富士の人間に殴られた時のものである。

その時、抗議運動の声をかき消すような怒号が飛ぶ。
一富士の金光と尾藤が借金の取り立てにきたのだ。
金光を演じるのは星璃、尾藤を演じるのは竹下、同学年コンビである。
星璃はクールな悪役を演じることが多いが、今作のようなコメディ要素も含んだチンピラ役も上手く表現する。ドスのきいた声が金光役にとてもよく似合う。
そして本人の声質も大きく影響しているとは思うが、竹下の下っ端らしさがマッチして本当に良いコンビだなと実感する。
この二人はPatch旗揚げ公演でもコンビを組んでいたので、会話や動きに安定感がある。流石は一期生である。

一富士の二人はピカイチの父親を脅し、借金の返済を要求する。瞬一も果敢に金光へ挑みかかるが、金光に軽くあしらわれてしまう。
団地の、星川家が危機に瀕したこの時、またあの少年が現れた。ブッチャーだ。

ブッチャーはカンフーの有名な技を巧みに駆使し、一富士の二人をいとも簡単に倒してしまった。
納谷はテコンドー経験者ということもあってか、体幹がとても安定していて動きにとてもキレがある。それまでのぼんやりとした演技とのギャップも相まって、その動きはより美しく冴えている。
ブッチャーの活躍に感銘を受けた子どもたちはブッチャーに教えを乞い、団地を守るべく修行を積むのである。


後日、一富士の金光と尾藤は部下を引き連れ再びに団地へやってくる。団地の子どもたちはブッチャーとともに、日用品を武器にして戦うのである。

このシーンでの殺陣が本当に面白かった。子どもたちが武器として持っているのはフライパン、洗面器、スリッパ、ヤカン、はたきなど。
ブッチャーは物干し竿を巧みに操っており、金光との一騎打ちは二人とも殺陣の巧い役者であるがゆえに、本当に素晴らしいものだった。

二人とも殺陣めっちゃうっめえええ……
勿論他の劇団員も格段に上達しているのだが、中でもこの二人は群を抜いて上手い。本当に上手い。
武器の有無に関わらず、星璃も納谷もキレがあって美しい。舞台奥に下がってもついそちらを見入ってしまうほどだ。
外部で数多くの舞台に立ち、着実に彼らも成長しているのだな、と僕は勝手に父親目線で感動していた。

こうして団地の子どもたちは一富士一派の撃退に成功したのである。
しかし、これで終わりではなかった。


一富士一派を撃退してしばらく経った頃、子どもたちお待ちかねのイベントが待っていた。クリスマスだ。
子どもたちがそれぞれのプレゼントにはしゃぐ様を、ブッチャーはひとり遠くから眺めていた。

ブッチャーにはサンタが来なかったのだ。

このシーンは本当に胸にこみ上げるものがあった。
子どもたちが喜び舞い上がる一方で、ただ静かにその様を眺めるブッチャーの姿がとても痛々しかった。
あからさまに拗ねたり怒ったりしない分、よりその差が際立っていた。

だがそんなブッチャーにも、サンタとトナカイの格好をした大人たちが歩み寄る。
「サンタさん!」とブッチャーは嬉しそうに駆けより、ニコニコとプレゼントを受け取ろうとする。

しかし、ブッチャーの前に出されたのはプレゼントではなく、1本の包丁だった。
サンタとトナカイに扮していたのは、復讐の機会を伺っていた一富士の金光と尾藤だったのだ。

あああああぶっちゃああああああああああああああ
山場はまだまだ先であろうに、僕はもうここで駄目だった。涙があふれて止まらなかった。
そんなブッチャーの状況をつゆ知らず、子どもたちは仲良くクリスマスソングを歌っている。確かにその歌声が聞こえているはずなのに、僕はその歌がまったく耳に入ってこなかった。正確には、僕の頭が歌声を認識していなかった


何もブッチャーに限った話ではない。世の中にはブッチャーのようにプレゼントがもらえない子どもはいる。クリスマスに関係なく、大人に暴力を振るわれる子どももいる。
暖かな家庭で、プレゼントを与えられて喜ぶ子供たちはただ知らないだけなのだ。
ブッチャーのような子どもがいることを、彼らは知らないだけなのだ。自分たちのように、世界中の子どもが愛されていると信じて疑わないのだ。
この差が、現実を突きつけられているようで、苦しくてしょうがなかった。

そして金光たちに追われ、ブッチャーは再び失踪する。

フラグのはじまり

実は、ピカイチ名義で出版社へ送られた『団地の超人ブッチャー』は、それまでの作品同様、ピカイチが投稿した覚えのない作品であった。そもそも、ピカイチが一度も描いたことのない話だったのである。
その描いた記憶がない作品が1話2話と立て続けに出版社へ送られており、ピカイチたちは「ブッチャーが描いたのではないか」と推測する。
しかし、確認のためにと出版社から送られてきた新たな第3話は、ブッチャーが失踪していた頃の、ブッチャーが見ていないはずの物語だった。


中学生になったピカイチは、友人達に誘われバスケットボール部に入部する。
この時部活の先輩役を演じる藤戸佑飛のラップが始まるのだが、本当に藤戸は歌が上手い。
音程や滑舌もだが、声が良く伸び、響いている。もしかしたらオペラ歌手みたいに体で響かせているのかもしれないけど。

説明が遅れたが、今作はミュージカルのくくりではないものの、歌とダンスがふんだんに盛り込まれている。
エンターテイメント性が高く、まさに今回の企画にはもってこいの作品だと感じた。

ピカイチたちが入部した頃にキャプテンを務めていた西村を、星璃が演じていた。今回は田中亨が演じる少年期のピカイチと、納谷のブッチャー、そして吉本孝志演じるピカイチの友人ペルー、特別ゲストの大西ユカリの4人以外は全員が複数の役を演じており、早着替えも非常に多い。
星璃も例外なく、先ほどまで包丁片手にブッチャーを追っていたのが嘘のように爽やかな少年に変身していた。


中学生にとっての歳の差というものは大きい。成長期も相まって、先輩という存在は遠く離れた大人の世界の住人のようであった。
ピカイチたちの主観がそうさせるのかと思ったが、この西村キャプテン、本当に大人っぽい。演じている星璃が成人しているのだから当然と言えば当然なのだが、それだけではないような色っぽさがあった。

背伸びをしている中学生らしいセリフが多いので、キャプテンの決めセリフにはついつい笑ってしまうのだが、彼のまとう独特の空気感がどうにもそわそわと落ち着かない。


思えばジャー忍を家族と観に行った時も、家族が鼻息を荒くしながら「星璃憂いを帯びた色気がとても良い」と絶賛していた。

劇団Patchは役者陣的にもこれまで上演されてきた作品的にも、官能性に寄ったことはない。円熟した女優のいない劇団というのも大きいだろうが、そもそも官能というものが彼らのイメージに合わないからだ。

その上で、今回の星璃はとても目を引くものだった。
もともとは彼も色気からはかけ離れたところにいたはずだが(過去作のDVDを観ていても「若いな~」しか感想が出てこない)、昨年の、それもジャー忍前後から急激に何かが変わっている気がした。


あれっ、星璃ってこういう役者だったっけ?
彼の表現の引き出しが増えたことを素直に喜ぶべきなのにどうにもそわそわしてしまう。
そうこうしているうちに、ピカイチたちは大淀団地へ帰っていく。僕が星璃に動揺している間に第3話が終わってしまったのだ。
やってしまった。本当に申し訳ない。田中ごめん…。


順風満帆に連載が進むと思いきや、予期せぬ事態がピカイチを襲う。
今まで出版社に送られていたブッチャーの原稿がピタリと止み、第4話が届いていないのだ。
焦りを感じたピカイチは第4話を捏造(という表現も正しいのか分からないが)するが、「作風もストーリーも変わりすぎている」と突っぱねられる。

焦るピカイチの前に、意気揚々と瞬一がやって来た。
彼は、以前から交際を噂されていた有名人・江戸川クリステルに「今度の試合でチャンピオンになったら結婚しよう」とプロポーズし、クリステルもそれに応じたというのだ。
ピカイチの事情などつゆ知らず、軽い足取りで瞬一は団地を後にする。窮地に立たされているピカイチとは雲泥の差だ。


そしてそんなピカイチに追い打ちをかけるように、10号棟の取り壊しが強行される。
ピカイチは団地にただ一人残り、抵抗を続けてきた。時には業者のトラックをパンクさせ、役所に「団地へ爆弾を仕掛けた」などと脅したりした。
しかしそんな抵抗もむなしく、ピカイチは思い出の詰まった部屋を追い出され、無残にも取り壊しは行われるのである。

帰るべき家を失ったピカイチは、のろのろと自身の作品が詰まった段ボール箱から原稿を取り出し、第4話の執筆を続ける。


第4話はピカイチたちも中学3年となり、バスケットボール部最後の試合に臨む場面から始まる。
最高学年であるものの、ベンチウォーマーから抜け出せずにいるピカイチが、突然異変を感じて動揺する。この臭いは、まさか、

ブッチャー!!

金光たちに追われてから何年も姿を見せなかったブッチャーが、あのぼろぼろの風貌のままでまたピカイチの目の前に現れたのだ。
ブッチャーは試合で活躍できるかと不安なピカイチに「ピカイチならできるで!」と自信満々に答える。
そして「そんで試合にかったらマーチに告白や!」と続けるので、ピカイチは「な、何言うてんねん!」と慌てて否定する。

マーチとは団地に住む少女のことで、水商売で働く母親と二人で暮らしていた。
彼女は団地の少年たちの憧れで、皆がこぞって自分こそが将来マーチと結婚するのだと言い合っていた。
こんな自分が、マーチに告白できるのだろうか。
不安と期待が混ざったまま、試合開始の笛が鳴る。


とはいえピカイチはベンチウォーマーである。試合の後半になっても、なかなか彼の出番は回ってこない。
試合を見守っていたブッチャーも痺れを切らし、「はよピカイチ出せ!」とブーイングする。
その時、第4クォーターで部員の三井の足がつった。
急遽タイムをとり、三井の代わりに名前を呼ばれたのはピカイチだった。

遂に試合に出ることができた。出ずっぱりのメンバーに比べ、ピカイチは体力も温存されている。ピカイチは自分にパスを回すよう声を掛ける。
だが誰もピカイチにパスを出そうとしない。またもブッチャーがブーイングする。

試合終了まで残り数秒。もう時間がない。
その時、遂にピカイチへボールが渡った。やっと出番がやってきた。
ありったけの想いをこめて、ピカイチはシュートを放つ。ボールはゴールに向かって真っすぐに飛んでいった。


滑らかな弧を描いて、ボールは床へと落ちていく。試合終了の笛が鳴った。
結局ピカイチたちは勝てなかった。
そしてピカイチは、スーパースターにはなれなかったのだ。


大人になったピカイチがあの頃のピカイチに呼びかける。
「泣くなピカイチ、お前はこれから何度も、シュートを外し続けるのだから

この時の田中の演技がとても印象深い。
羽生蓮太郎で演じていた歩野親春もそうだが、田中の演技はどこまでも純真だ。
大声を上げて泣く姿は、まさに田中にしかできない演技だった。


第4話を描き上げたところで、瞬一が試合会場に向かう道中で交通事故に遭ったとの知らせが入る。
周りの声に聞く耳を持たずバイクで会場に向かう道中、ガードレールにぶつかって骨折したのだ。
「やっちまったよ」と肩をすくめる瞬一にピカイチが掴みかかる。

お前は「ホシ」を持って生まれてきたのに、どうしてそんな事をしたんだ、と。
借金取りが取り立てに上がりこんで来た時も、お前だけは眠っていたじゃないか、と。

瞬一はすかさず「あんな状況で寝れる訳ないやろが!」と怒鳴りかえす。
当時瞬一はあまりに怖くて、大人に気づかれないよう狸寝入りをしていたのだ。


結局、誰もが信じて疑わなかった瞬一さえも、「ホシ」を持っていなかったのだ。
ピカイチに思わず笑みがこぼれる。「クリステル、見舞いに来おへんなあ」と茶化され、瞬一がかみつく。
なにもピカイチに限った話ではなかった。皆が一様に、「ホシ」を掴むべくもがきあがいてきたドンキホーテだったのである。

瞬一が、ポケットに入っているラジオを取り出すよう指示する。
ラジオをつけると、ちょうど瞬一が向かうはずだった試合が中継されていた。

確実に気づいてはいけない感情だった

熱気に包まれた会場では、防衛側のチャンピオン・マイク本郷が待ち構えている。マイク本郷も星璃なのかとぼんやり星璃のほうへ視線を向けたところで、僕は固まってしまった。

待って、星璃ってこんなに肌白かったっけ?

「役者だし美白のために顔パックくらいはするだろ」とかは僕でも考え及ぶが、まさか胴体がここまで白いとは思わないし、というか本当にめちゃくちゃ白い。かつ傷ひとつついていない肌の滑らかさで、でも体はしっかり鍛えられているから筋肉の陰影が石膏像みたいにくっきりしていて(腹筋もバッチリ6つに割れていた)、背中もちょうど背骨のラインがするりと伸びていて、いや、これはもう、もう見せちゃ駄目だろうこれは。

恥ずかしさのあまり目を逸らしたくてしょうがないのに、僕の体が、目が、言うことをきかない。

こんなことがあっていいのか。

今までは若い女の子が胸の谷間や太ももを見せていると内心「ウヒョー」と心躍っていたのだが、星璃の体はなんというか、そういう「ウヒョー」な感情とはまったく異なる類のもので、こういうことを思っては本当にいけないと分かっているのに、もうどうしようもなくて、身も蓋もない表現をするとたまらなくて、罪悪感と絶望感が凄まじかった。

星璃は以前に比べて、
曲線を描いていた輪郭がまっすぐになった。
体の厚みが増した。
見つめる瞳の表情が深くなった。


中山義紘や松井勇歩など、僕がいつもPatchの劇団員を見ていて抱くのは「こんな風になりたい」という憧憬が主になるのだが、星璃に対するものはもう、本当に駄目なやつだ。これはちょっと本当に本当に駄目なやつだ。

こんなことを言うと熱烈なファンに刺されそうだが、星璃より顔のいい俳優はごまんといる。それは事実だと思う。
しかし、彼の容姿だけでは決してない空気が、妖艶で、耽美で、儚げで、繊細で、美しいのだ。いやもういつの間にこんな色気出すようになったんだ本当にやばい。


試合の後、現実とも空想とも言えないシーンへと移っていく。
役者たちが入り乱れ、叫び、まるで暴れるような演出は劇団鹿殺しではよく用いられるのだと後から人づてに聞いた。

そんな中でも僕は舞台奥にいる星璃に釘付けだった。この舞台の中で、二度目の恋だった。

とはいえ一度目の恋はレモンだとかカルピスに例えられるような甘酸っぱくて爽やかなものだが、二度目のそれは恋と呼ぶにはあまりにもおぞましく、醜いもののような気がしてならない。様々な思いで溢れかえって、僕は終演後の拍手がきちんとできていたか、正直自信がない。


今回の舞台は主演にして座長を務めた三好の好演に心を打たれ、個々の役者の魅力がより一層増し、そして納谷は劇場の全員を虜にした。僕ももれなくその一人だった。
しかし僕はこの日、星璃という恐ろしく美しい男に心を奪われてしまったのだ。今まで触れたことのない感情に、僕は本当に自分が自分でないようで、それがただひたすら怖くて仕方がない。


同時に、アラサーのおっさんが美丈夫に好意を寄せているという、字面だけでも十分キモい状況が本当につらい。
少女とは言わずとも、せめて自分が女性であったならとここまで願ったこともない。自分が男というだけでここまで犯罪臭がするものなのか。こうして文字を打っているだけでも涙が滲んできた。つらい。


帰りの道中、アルコールを1滴もとっていないのに、足元がふわふわとおぼつかない。3月24日、この日は星璃の誕生日だった。彼は今日、24歳になった。
24歳。まだ四半世紀にも満たない若さである。
誕生日おめでとう。僕はまたひとつ歳を重ねた君に、心からの祝福を送りたい。

そしてここからは厚かましい願いなのだが、決して君に近づき、危害を加える真似はしないので、どうか遠くの世界で君に叶わない恋をすることだけは、許して貰えないかと切に願っている。